ぱいんはうす岸英明の「世界はグーチョキ天パー」ブログ

ぱいんはうすの岸英明です!悩める天然パーマ達の味方です!世界はグーチョキパーで皆違うからあいこでしょ?ふんわり日常の思ったことを書いていきます。

俺達はデュエリストだ!!!~中学時代のヒエラルキーについて~

ただただ無意味に駆け回り、恥じらいもなくふざけ合い、無邪気に遊んでいた小学校時代を終えると、中学校という社会への登竜門が禍々しいまでの存在感をもって僕らの前に立ちはだかる。

 

上下関係は突如として厳しくなり、先輩の威圧感に怯え、同学年内においても当然のようにヒエラルキーが生まれる。


徐々に差が生まれていき、クラスのスタメン的存在である上位層とその下の当たり障りのない中間層、さらにその下にはスタメンと接することすら困難な底辺層が、誰に決められたわけでもなく確かに存在する。

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同じ階層の人間でなければ会話をすることも稀で、普段何をやっているのかも噂レベルでしかしらない。隣の席なのに途方もない距離を感じる。隣のクラスなどまるで異国だ。

 

大声で笑ったり叫んだり存在を誇示していいのはスタメンの人間達だけだ。中間層や底辺層の人間が同じことをやれば、調子に乗っていると判断され、直ちに非難の対象になり得る。それぞれがその空気を肌で感じ、それ相応の過ごし方を余儀なくされる。

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階層構造の境界線は曖昧ではあるが、上位層であるスタメンになるための条件は大体決まっている。まず運動神経に恵まれ、体育会系部活動の一線にいること。体育会系といっても概ねサッカー部、バスケ部、野球部、バレー部のいずれかの人間だ。次にイケメンで頭髪がおしゃれであること。あとは流行りの音楽の知識、ファッションブランドの知識があれば磐石だ。学力は毛ほどの効果しか発揮しない。仮にそれら全てが揃っている者が存在するとすれば、このヒエラルキーにおいてほとんど神としての立ち位置をものにすることができる。

 

以上のように一応の条件はあるが、こういったものは基本的に努力で身に付けられるものではない。運動神経や顔など生まれ持った素質がものを言う。中学校とは余りにも理不尽で、極めて不平等な場所なのだ。

 

 

 

しかし、そのような理不尽かつ不平等な世界の中においても、唯一対等な立場で、平等に実力を示せるものがこの世には存在する。

 

 

 

 

そう。

 

 

 

 

カードゲームだ。

 

 

 

 

ただの中学生に過ぎなかった僕らはカードを手にした瞬間から魔術師となり、モンスターや魔法を駆使しながら命を賭して戦う。その世界では上も下もない。ライフポイントを0にした者こそが真の勝者だ。

 

運動神経も、顔も髪型も、音楽やファッションの知識も、学力も一切関係ない。

 

大切なのはデッキの構成と戦術と運。


そして、熱い気持ちだ。

 

「俺のターン!ドロー!モンスターを召喚し、ターンエンド!」

 

そこでは教室では出せないようなテンションと共に大声を上げてもいい。それを咎める者はいない。理由は明確だ。各々が命を賭けて戦っているからだ。全力でぶつかり合い、お互いの存在を賭けて戦う。そこではアホもデブもゴミもカスも関係ない。平等な世界がそこにはある。

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そして激闘が終わったあとには、何とも言えない熱い感情が生まれる。

命を賭したもの同士、友情すらをも越えた何かが確かにそこにあるのだ。

互いに互いを認め合い、称賛と尊敬の意をもって握手をし、それぞれの住む家に帰る。

 

そして、翌日また元の生活に戻る。それぞれの階層の中で何事もなかったかのように僕達は生き続ける。

 

しかし、もう以前の僕らではない。それは互いにわかっている。

 

違う世界にいても何があってもそれだけは無かったことにはできない。

 

 

俺たちは命を賭けて戦った。

 

 

それだけは確かだ。

 

 

そうだ。

 

 

 

そうなんだ。

 

 

 

 

俺達はデュエリストだ!!!

 

 

 

 

おわり